オツトメ先生の教室(上) "安牌"を選ぶ学生に伝えたいこと

遠山 直(リクノアカデミック代表取締役)

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「20歳を過ぎた大学生にこんなことを教えても、もう手遅れじゃないんですか?」。 この発言は私(日経HR 渡辺茂晃)が以前、ある大学で教員向けに「社会人基礎力」の話をした時に、教員から出た質問です。自校の学生の学力や意欲の低さを嘆くだけの教職員をたびたび目にします。前出の発言と同様、「今さら学生は変わらない」と考えているからでしょう。もちろん、変わらない学生もいるかもしれませんが、学生を目覚めさせ、成長させて社会に送り出している教職員もいます。この連載では、外部講師を含めて学生にやる気を出させ、学生の意識や行動を変えている先生、職員の取り組みを紹介します。

今回は大学生の就職支援や企業の人材育成サービスを提供するリクノアカデミック代表取締役の遠山直さんの連載「オツトメ先生の教室」です。高校中退、建設業の職人、会社員などの経歴を持つ遠山さんはどんな思いで学生たちと向き合っているのでしょうか。3回に分けて紹介します。

ツッコミどころ満載の経歴

私が大学生に対してキャリアの講義をする時にテーマとなるのが、失敗という経験から学ぶ "失敗学"です。社会に出る前の若者にとって生きた経験(成功と失敗)ほど重要なものはないということを、声を大にして伝えています。そしてそれは失敗の方が大事であると。

私のキャリアは中学卒業後、2カ月で都内の私立高校をドロップアウト。紆余曲折を経て東京少年鑑別所に収監され、建設業の職人(型枠大工)として6年働いた後、大学へ進学。新卒でエレクトロニクス商社へ入社しました。翌年より責任者として4年間営業所長を務めた後、現在は求職者の就職支援や企業の人材育成サービスを提供する会社を起業、代表に就任して4期目になろうとしています。

少しだけ?変わった経歴ですが、この間の経験を教材として大学でキャリアの授業をしています。講義の冒頭、上記の自己紹介をしています。経歴にツッコミどころがたくさんあるため、過去の経緯を順を追って話していますが、長くなってしまうのでここでは割愛します。

講義テーマを「失敗学」にする理由

私がなぜ失敗学を講義のテーマにしているのか? それは単に、私の10代の失敗があるからだけではありません。近頃の社会を見ていると、昔ほど"失敗"に対して寛容ではなくなっているように思えます。それはインターネットなどメディアの進歩と大きく関係があるのでしょう。
以前よりも格段に情報を簡単に得られるようになったと同時に、発信手段も多様化・容易になりました。それは多くの批評に晒されやすくなったことも意味します。若者の発育段階において安全性という概念は大変重要です。安全と一言で言っても示すものは多岐にわたりますが、ここでの安全性は若年期の「思考・言動」に焦点を絞ります。

近頃のメディアを見ていると、政治家、ビジネス、芸能、スポーツ、どれをとっても不祥事というキーワードにおいてあまりにも過敏な反応が散見されます。不祥事=失敗と換言できますが、現代人にとって他人の失敗は、それだけメシウマの対象なのです。その世代のど真ん中を育った"近頃の若者"という括りの彼、彼女らは、失敗を恐れてしまうようになっています。

失敗は自信につながる

失敗を恐れた場合、人はどうなるか。当然、"安牌"な選択を取るようになるでしょうし、何も行動しないことを選ぶこともあるでしょう。果たしてこれが正しいことなのか。生きものは熱いものに触れた際、痛みを覚えます。それ故、次は同じ失敗をしないように触れなくなるし、どこまでだったら大丈夫なのかを判断できるようになります。上記はあくまで一例ですが、このようなトライアンドエラーを繰り返し、多くの失敗や成功を重ねることこそが自信につながるのではないでしょうか。

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ところが、"今時の若者"と接すると、これをカラダ(心の深い部分)でわかっている人があまりにも少ない。大学の講義でのリアペ(リアクションペーパー)を見ていても、私のこれまでの部下や後輩を見てもその傾向は強いと感じています。というよりも教えられてさえいないように感じるほどです。

教育環境の変化も大きな要因でしょう。学校教育においては、課題の複雑化・多様化、教員の多忙化、保護者からの過度な期待や要求などにより、教育現場には過度なストレスがかかっています。それは教員の疲弊・萎縮を招き、経験を積めず資質不足に陥るという負のスパイラルを生み出しているように見えます。

私は金八先生世代なので、義務教育の間は時に愛ある指導を受けましたし、それが今となってはありがたく感じることも少なくありません。しかし、今は生徒・先生も"失敗"することは許されない時代になりました。教育とは何か、時代のせいといえばそうなのかもしれません。そうだとしたら、あまりにも"今時の若者"はかわいそうだなと感じてしまいます。

そんなことは社会に出てから学べばいいという意見もあるでしょう。しかし、現在の企業(特に中小企業)には長い時間をかけて育成する余裕は昔ほどありませんし、せっかく育てたところで転職されてしまう。ハナから育てる意識がない企業も多いのが実情です。

数えきれない失敗が生かされている

私自身の若い頃の失敗が今に活かされていると感じることがあります。昔の自分は、人に流されて生きていることが多くありました。自分の望まぬ選択肢からは逃げ、楽な道を選んではひとときの楽しさに身を委ねる。思うようにいかなかったことは他責にし、自身を正当化して過ごす毎日。そんな日々を過ごしていると、ある日思うのです。自分は「自分の人生を生きているのだろうか?」と。

そして気付くのです。人に流されて下した選択の数々がのちに後悔に変わっていくのを。人生は選択の連続です。ある時点でのたった一つの選択が人生を大きく動かすこともあります。人任せの人生を歩んでいるうちは、自分に自信を持つことはできません。私はそのことを自身の失敗から身をもって体験することができました。

それに気付かされてからは選択には明確な理由を求めるようになりました。その結果が成功であっても失敗であっても、後悔することはなくなりました。それどころか、次への糧とすることができているし、これまで随所で大きな決断を下してこられたのは一つの成果の証なのかもしれません。

それは仕事にも活かされています。責任者や経営者は他社がやっているからするのではなく、自社の強みや弱みの分析、市場やライバルの動向をみながら、課題を解決するためにどのように行動するのが望ましいのかを判断する必要があります。私がこれまで仕事で成果を残してこられたのは、意志ある決断の重要性を失敗から学べたことが大きいのです。だからこそ、私は学生たちに、学生だからこそ許される今のうちに、さまざまなことに挑戦して生きた経験(成功と失敗)すること勧めています。

多くのサービス=何不自由ない(教育・民間サービス)の中で育まれ、義務教育・高校教育を過ごし、その間、はみ出すことや個性を否定的に扱われた子どもが大学に入った途端、急激な放任教育(不条理な世の中)に出される仕組みもよくないのかもしれません。与えられることに慣れすぎた者が、突如として多くの自己責任での選択を迫られるのだから、その自由を不自由に感じてしまう人のも分かります。

そんな今時の学生に対して失敗すること、そしてそこからどのようにリカバリーするかを教え、実践させることは大学が1年生に対して最初に教えるべき重要な授業だと思います。私の講義では私自身のこれまでの数々のトライアンドエラーを限りなく隠さずに伝え、失敗から何を感じるべきなのか、なぜそれが大事なのか、その繰り返しが人をどう成長させるのかを伝えるようにしています。(つづく)


プロフィール

遠山 直(リクノアカデミック代表取締役) 遠山 直(リクノアカデミック代表取締役) 中学卒業後、都内私立高校を2カ月で中退、東京少年鑑別所に収監され、建設業の職人(型枠大工)として6年間働き50人の職人をマネジメント。その後、大学へ進学。新卒でエレクトロニクス商社へ入社、2年目に万年赤字営業所の所長となり黒字営業所への転換、退社するまで黒字を維持する。現在は求職者の就職支援や企業の人材育成サービスを提供するリクノアカデミック株式会社の代表を務める。