サッカー選手に社会人基礎力を! ―水戸ホーリーホックの取り組み

社会人基礎力育成術

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社会人基礎力を取り入れた研修はクラブの枠を越え、大学、高校にも

プロサッカー選手の職業価値を高めたいと、社会人基礎力を取り入れた研修を構築している水戸ホーリーホックのゼネラルマネージャー・西村卓朗さん。クラブ内で始めた研修は、地域の社会人や大学生へ、さらに高校の授業としても導入されています。今後はクラブ内の評価指標に社会人基礎力を取り入れるという試みも。プロサッカークラブが、なぜ社会人基礎力を重視するのか? 研修はどのようなものなのか? をうかがいました。

水戸ホーリーホックの社会人基礎力協議会年次大会の発表についてはこちら→「社会人基礎力協議会 年次大会――企業、大学などの取り組み事例を紹介」

「何のためにサッカーをするのか?」 選手自身がその価値を知る

――サッカー界で社会人基礎力の育成に取り組んでいるのは珍しいですが、水戸ホーリーホックの研修はどのような内容ですか?
西村さん これまで、プロサッカー界には企業における社内研修のようなものがほとんどないことを課題に感じてきました。そこで水戸ホーリーホックでは、選手たちの「プロアスリートとしての価値向上」などを目指し、2018年から社内研修に代わるものとして「Make Value Project」を始めました。

「自分は何のためにサッカーをしているのか」、その本質を見つけることに主軸に置いた内容です。「自分の価値観を形成しているものは何か」「影響を受けた出来事は何か、人物は誰か」など、選手の価値観を掘り下げていきます。選手たちがサッカーをする真の価値に気づくこと、それを言語化「Make Value」することが重要なのです。こうした研修の中に、社会人基礎力の講義を取り入れています。

――社会人基礎力の講義はどのような内容ですか?
西村さん 社会人基礎力の3つの能力「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の概念を理解するための講義のほか、選手たちの日々の行動と社会人基礎力を具体的に結び付けた話をしています。

社会人基礎力育成はプロセスが重要。指導は根気強く

――社会人基礎力の講義に対して、プロサッカー選手たちの反応はどのようなものですか。
西村さん 感度が高い選手は、サッカーと社会人基礎力をしっかり結び付けることができますが、皆がすぐに理解するというのはやはり難しい。社会人基礎力とか、「主体性」とか、「創造力」とか、言葉や概念が分かるということと、体験や実感として分かることは全く違うと思っています。ですから、選手たちの日々の行動と社会人基礎力を具体的に結び付けて伝えるということを根気強く続けています。選手と対話ストロークをしていくうちに、ふとあるときに、自分の行動と社会人基礎力がつながっていることに気付いてくれると思います。

選手たちは自分がプレーしている意味を「勝ち負け」という結果に向けてしまいます。しかし、社会人基礎力は行動プロセスがすごく大事だと思っています。例えば、けがをしてグラウンドに立てない選手はプロサッカー選手として機能していないと言えますが、そういう状況でも、けがを治すために「考え抜く」、「情況把握」をして今チームのためにできることをやるなど、取り組み方次第で社会人としての能力は積み上がっていく――。捉え方を変えれば、選手の今後も変わると考えています。

体験や行動と結び付けて社会人基礎力を伝える、結果だけでなくプロセスにも目を向けて伝える。高校生や大学生の社会人基礎力の育成にも同じことが言えると思います。

hollyhock_2.jpg 「社会人基礎力はサッカーでも役立つ」と話す西村さん

――高校生や大学生、社会人にも社会人基礎力の講義をしているのですね。
西村さん 多様な年代、背景を持った人たちを交えて講義をやるとおもしろいなと思いまして、先日はパートナー企業の社員さんと水戸ホーリーホックの選手たちとで「チームで働く力」をテーマにワークショップをしました。これまでに、高校生年代の選手(ユース)と茨城県内の大学生や社会人と「考え抜く力(創造力)」をテーマとした講義をやったこともあります。

教育の分野でサッカー界がどう貢献できるのか? ということを試してみたいと思い、2020年からは私立高校の「探求学習」の授業の中で、社会人基礎力の講義をしています。

「日常」「価値観」「使命感」を他人とシェアすることで変化がおきる

――どのようなことに配慮すると講義がうまくいくのでしょうか。
西村さん 講義は「Make Value Project」を基に、「自分は今、何のために過ごしているのか」をテーマにしています。でも「自分1人で考えていても分からないよね?」という前提を作り、「だからみんなで考えよう」という状態にします。「環境や背景の違う人たちのことをよく知らないのは当たり前だよね」などと話しながら、「どんな日常を過ごしているか」「大事にしていることは何か」「自分は今何のために高校生・大学生として過ごしているのか」、社会人なら「何のために仕事をしているのか」など、対話を通して「日常」「価値観」「使命感」などをシェアします。

そうすると、「この人の考え方はすごいな」とか「どんな環境の人にも共通点があるな」といったことが見え、変化が起こるわけです。外部の人と交流、協力することで、気づけることがあると講義をする中で発見しました。

社会に出て働いたことのない生徒・学生に社会人基礎力を伝えるのは特に難しいです。しかし、こういう概念・考え方があるんだということ、生活の中での様々な体験が「社会人基礎力」に紐づくのだと伝えるようにしています。生徒・学生たちの日々の行動と社会人基礎力を結び付けて伝えていくことは、現場の先生たちに託しています。

社会人の能力が定義されていることに「目からウロコ」

――社会人基礎力育成に目を向けている理由は何ですか?
西村さん 引退後に2つの転機がありまして、1つ目が社会人基礎力との出合いです。34歳でプロサッカー選手を引退したのですが、引退後のキャリアに大きな不安を抱えていました。サッカーを続けてきたけれど、自分は社会人として何を積み上げてきたのだろうかと。現役時代からオフシーズンのときには、10社ぐらいのインターンシップに参加していましたし、周囲の人たちからも「様々な準備をしてきたのだから大丈夫だ」と言われました。しかし、仕事はしているものの、自分が積み上げてきたものは何なのかを明確にできませんでした。

そうした中で、2018年に社会人基礎力と出合ったのですが "目からウロコ" でした。サッカー界以外の人との交流も少なく、そもそも社会人という人たちが、どういう能力を使って働いているのかが分からなかったのですが、「社会人の力って定義されているんだ!」と。

「サッカーを通して、『前に踏み出す機会』『考え抜く機会』『チームで働く機会」はどれだけありましたか?」と聞かれたときに、「これらの力は、サッカーを通して身に付いているじゃないか」と自分の中で腹落ちしたんです。これまで積み上げてきたものを棚卸しすることができ、無作為にやってきた経験に社会人基礎力が横串を刺してくれました。

――もう1つの転機はどんなことですか?
西村さん 引退して2年目に、サッカー市民クラブ「VONDS市原」の監督兼GMをやっていたときの経験です。地域の青年会議所に所属している経営者たちに、クラブ選手が働く場を提供してもらうといった交渉をやっていました。そこで経営者の悩みを聞いたり、昼間は様々な業種で働いている社会人選手を教えたりする中で、「業種が違っても、持っている課題や人材育成の悩みなどは共通していることが多い」ということが分かりました。

そののち社会人基礎力を知るのですが、「優秀な人の定義」「必要とされる人の定義」は、どの環境においてもあまり変わらず、それらを端的な言葉で示したのが「社会人基礎力」なのだと気づいたのです。

社会人基礎力との出合い、様々な業種の人との交流、この2つの経験が結び付いたことで、社会人基礎力の実感値が高くなったことは大きいです。

社会人基礎力を選手たちの評価指標に

―今後、社会人基礎力を活用してやってみたいことはありますか。
西村さん 今まさに試みていることなのですが、選手の評価指標に社会人基礎力を取り入れようと思っています。水戸ホーリーホックには7つの行動規範があるのですが、そのうち、
・「協働」はチームで働く力
・「挑戦」は前に踏み出す力
・「本質」はなぜを問い続ける
といったように、明らかに社会人基礎力を意識して作っています。それをさらに細分化して、「前に踏み出すアクション」みたいなものを定義して、それを実行できた人にインセンティブのようなものを出す、ということを考えています。

「サッカー界やスポーツ界の職業価値を高めること」がミッション

――選手たちに「価値観」を見つけることを指導していますが、西村さん自身が大事にしている価値観は何ですか?
西村さん 選手たちには「MVV(Mission Vision Value)」の3つを作るように指導していますが、私もMVVをいくつか作りました。その一部ですが、ミッションは、「サッカー界やスポーツ界の職業価値を高めること」です。対人関係に対しては「丁寧に向き合う」「腹を割る」「勇気づける」ということを意識しています。ビジョンは、「自分らしく、生き生きと、仕事をし続け、クラブに関わる人達が、心身共に、健康な毎日を過ごす」。そしてバリューは、仕事に対しては「要因を見つけて、課題は何かを問い続ける」「高い熱量で動き続ける」、自分に対しては、「常に自分を疑う」「今に没頭して楽しむ」ということを意識しています。

「MVV」は、どれも自分が腹落ちする内容になっていて、これを作ってから不思議と自分がやるべきことに対する熱量とか、自分の中での馬力みたいなものが、さらに出てきた感じがします。
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社会人基礎力の効果を自ら実感している西村さんだからこその指導で、水戸ホーリーホックの選手たちも、「自分がプレーしていることがどんなことにつながっていくのか」、その本質が見えてきているそうです。社会人基礎力が業種を問わず必要な力ということを実証する事例として、今後も目が離せません。

Profile 西村卓朗氏(にしむら・たくろう)
水戸ホーリーホックゼネラルマネジャー(GM)
浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)、大宮アルディージャなど、大学卒業後の11年間プロサッカー選手として活躍。引退後は、浦和レッズなどのコーチや、VONDS市原の監督などを歴任し、2019年から現職。選手の採用、育成、評価といった人事をはじめ、地域に根差したホームタウン活動の推進など、様々な役割を担っている。