2019年11月 就活迷子からの生還 きっかけは自己分析

意識普通系な僕の就活日記@shimi(明治大学商学部)

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最近、友人から「悟っているね」と言われるようになった。どうやら僕は、自分が知らない間に仏の境地にたどり着いていたらしい。就活の会話をしていただけなのになぜだろう。それだけ思い詰める何かがあったのだろうか。

目に映る企業すべてが輝いている

前回の記事では「"合説充"が陥りやすい甘い罠」と題し、合同説明会をバイト感覚で訪れてしまった僕の心境の変化について書いた。合同説明会の参加特典だけで月に8,000円も稼いだ僕から言わせてもらうと、企業を知るためのきっかけ作りとして、たとえ金銭目的であっても合同説明会に参加することは大事だと思う。もしかしたらその時の行動が、運命の企業を手繰り寄せるかもしれないのだから。

しかし、僕の場合は別だ。僕は今、明らかに「(就活イベントに)行き過ぎてしまった人」になった。「行き過ぎてしまった人」は「普通に行っている人」とは違う。見える景色が違うのだ。この世には星の数ほど企業があると、僕は信じている。暗黒の宇宙の中で、たった一つの星だけが圧倒的な輝きを放つことなどありえない。就活イベントへ熱心に足を運び"過ぎた"僕は、社会という暗闇の中で輝きを放つ大量の星を発見した。目に映る企業すべてが輝いて見えるのだ。めっちゃ眩しい。

また、「行き過ぎてしまった人」は聞こえる「音」も変わってしまう。イベントに登壇する人事の方から発せられる言葉の一つひとつが、無性に嘘くさく感じられるのである。「うちの企業は若いうちから裁量権を持ってバリバリ働けて...」「うちは社員がもっとも成長できる環境でして...」「うちはワーク・ライフ・バランスを持ち...」――。ほとんどの企業がありきたりの決まり文句を並べているようにしか聞こえなくなっていった。

企業は嘘をつくのか?

ありったけの輝きを放つ企業に吸い寄せられるようにして、僕はその企業の説明会へと導かれる。社内のオフィスは清潔感があり、雰囲気は良さそうだ。生き生きと楽しそうに働いている社員たちが僕の横を通り過ぎる。「おっ、いい感じかも」と期待に胸が高鳴り、そのまま案内された椅子に着席。

しばらくすると気合の入った美男美女の人事担当者が前に踊り出る。そのまま就活生が息をのむような美しい単語が口から出ては消えていく。裁量権、成長、やりがい、福利厚生、人の良さ......。いやいや、アブナイアブナイ。またもや企業の美しさに騙されるところだった。「ん? そもそも、騙されるってなんだ」。企業が就活生に綺麗ごとだけを見せて話し、騙して入社させようとしているなんて、僕は本気で信じているのだろうか。企業が嘘をつくなんて、そんなはずはないのに。なんだか自分がわからなくなってきた。

ノートに書いた悩み、会社の印象、夢

次の日、ぼんやりとした虚無感を抱えながら、僕は大学の図書館へと足を踏み入れた。足取りは重く、周りの人が見ればデコピン一発で倒れるほどふらふらしていたことだろう。顔には不気味な笑みを浮かべ、「クックックッ」と怪しい笑い声まで聞こえてくる。完全にやばい奴だ。

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そのまま椅子に座り、僕は1冊のノートを広げた。そのノートの表紙には「Self」と書いてある。僕は白紙のページを広げると、今までの悩み、会社の印象、さらには夢など、ひたすら自分が思ったことをなぐり書きしていった。「どうして僕はあの企業に惹かれたのだろう」「しかも、どうして僕はあの企業を怪しいとも思ってしまったのだろう」「そういえば、僕は将来何がしたいのだっけ」。

体の底から思いも寄らない感情が次から次へと溢れ出し、僕の手がそれに応える。ボールペンのインクが手に滲み、ノートの端が折れ曲がっても、僕は書くことをやめなかった。するとある時、一つの光が僕の体を貫いた。それは一瞬だった。その光は、僕の忘れていた感情を研ぎ澄ました刃のごとく、まっすぐと自分のやりたいことは「これだ!」と示してくれる道標へと変わった。

この光に導かれて改めて企業を観察すると、今まで輝きを放っていた企業たちは光を失い、業界が一つに絞られていく。昔はあんなに魅力的に見えていた企業も、今では普通の企業の枠にちょこんと落ち着いているくらいだ。

僕の自己分析は感情を文字にすることだった

僕は勢いよくノートから顔を上げた。「これは、いったい?」。あまりの集中力に息が切れ、頭が働かない。しばらく休んで思考を落ち着かせると、ようやく自分が何をしていたのか理解した。それは「自己分析」だった。自分の感情を表に出して可視化することで、それを客観的に見つめ直し、改めて自分について詳しく知ること、それが「自己分析」だ。

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僕の場合はそのやり方がノートに書くことだったのだ。大学の友人は本を使っていたし、浪人時代の友人はひたすら社会人と会って自分の詰めが甘い部分を指摘してもらっていた。「自己分析」のやり方は人によって様々だと思う。これによって迷いがなくなった人は、自分が見つけ出した「本当に将来やりたいこと」を目指して進めばよいだけなのだ。

すごいな、自己分析。自分の新たな一面を見つけて感動した僕は、さらに自己についての謎を解き明かしていく。毎日、学校が終わると図書館にこもってノートに何かを書き続ける。深層心理を極限まで追求すると、「人生とは何か」という極論にぶち当たった。だから言われるんだ、「悟っているね」って。もしかすると仏よりも哲学者の境地に近いのかもしれない。

プロフィール

@shimi(明治大学商学部) 趣味は海外サッカー観戦、TWICE。アルバイトは居酒屋。